美味しいコーヒーはセクシーだ。

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コーヒーという飲み物について話がしたい。

――と言っても、つい最近まで私はコーヒーがあまり好きでは無かった。苦い、えぐい、渋い、とダメな3要素が揃った(当時の感想)その液体は、焦げた豆にお湯をぶっかけたもの(当時の感想)くらいにしか認識が無く、わざわざ自分で頼んでまで飲もうとは一切思わなかった。

せいぜいコーヒー要素の有るものを買ったとしてもコーヒー牛乳やカフェオレで、しかもコーヒー牛乳といちごオレの二択なら間違いなくいちごオレを選ぶ。そんな感じの高校生時代を送っていた。

しかし、そうした認識というのは京都に住み始め「本当に美味しいコーヒー」を飲んでから一気に払拭されたのだった。

目次

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さて、皆が京都という土地に対して抱くイメージとは一体なんだろうか。抹茶?湯豆腐?舞妓さん?確かにステレオタイプ的な京都感で言えば、それらは多くの人と一致するだろう。

ただそうした「和風」のイメージが非常に強い京都だが、実際に住み始めてみると京都という土地は「コーヒー」「ラーメン」「パン」の土地であることが分かった。

とりわけコーヒーはその中でも非常に強く京都に根付いているようで、総務省の家計調査で割り出された京都市のコーヒー消費量はなんと日本で一位。

それゆえ多くの喫茶店やカフェが京都市には立ち並ぶ。

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そして話は戻る。

それだけ多くの喫茶店があればコーヒーが好きでなくてもそういった店に行く機会が増えるもので。私は知人に連れられて「いかにも」なカフェに足を運ぶ流れとなった。

薄暗くジャジーなBGMが流れるそのお店は「マスター」と呼ぶこと以外ありえないようなオジサマが経営しており、オシャレさとセクシーさを両立した素晴らしい雰囲気、もといアトモスフィアをまとっていた。

当然そんなセクシーなお店がコーヒーS・M・Lを50円違いで売っている訳もない。コーヒー一つをとっても、メニューには様々な産地の豆が羅列されており、それぞれの味の違いや焙煎具合などが事細かに記載されていた。

「よくわからん」と思った私はその知人が良く頼むと言うものを頼んだ。付和雷同とはまさにこの事だが、よく分からんのでそれも仕方がないことである。

メニューによるとそれはエチオピア産のグジ・シャキソという中深煎りの豆で、甘くフルーティーなフレーヴァーが特徴とのこと。セクシーな店なので「バ」ではなく「ヴァ」と読むのが正しいはず。

そうした末に出てきたブラックコーヒーに、私はとてつもない衝撃を受けたのだった。

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至極当然のことではあるのだが、その時私は初めて「美味いコーヒーは美味いのだな」という事を知った。具体的に言うと味が非常に複雑なのだ。

まず舌の真ん中でうま味を感じられ、嚥下した後に甘味があり、味全体をまとめるかのような苦味がある。しかもその苦味というのも舌を刺す直接的な苦味では無く、カラメル的な深みのある苦味だ。

そしてそれらの味というのはコーヒーの温度によっても姿を変え、少し砂糖を入れるともう一段と舌全体で美味しさを感じられる。ミルクなど要らなかった。本当にコーヒー自体が「美味い」のだから。

舌の先と喉で苦さを感じるだけのコーヒーがいかに人工的な味だったのか。コーヒーという飲み物の概念が根本からひっくり返された瞬間であった。

故に「それは本当に美味しい○○を食べてないからだよ~w」という常套の文句はあながち間違いでは無いらしい。

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それ以来という物、私はコーヒーを好んで飲むようになった。ホットだったりアイスだったり、カフェオレだったりウインナーだったりとそれは気分によって変えている。

好んで飲むようになっただけでは無く、知識としても情報を得たい欲が出てきた。例えば『A Film About Coffee』というドキュメンタリー映画は見ているだけでも良い香りが漂ってきそうな素晴らしい映画だったので是非見てほしい。

大学生の春休みは長く暇を持て余しがちなものであるので、家で美味しいコーヒーを淹れられるようになるのもまた一興かな、とも思う次第だ。

たまにはいちごオレの事も思い出してあげながら。

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