こんにちは、枝と申します。
この度、ご縁があってアンディ・ウォーホル展キョウトのチケットを頂いたので、京セラ美術館まで見に行ってきました。
アンディ・ウォーホルというアーティストはポップカルチャー、つまり大衆向け芸術の旗手ともされているそうで、作家さんの事を知らない私でもどこかで見たことのあるような作品が多数展示されていました。一番有名なバナナの絵は見つかりませんでしたけど。
そんな展示を見に来ている人は様々だったわけですが、中でも目立ったのはアンディ・ウォーホル展に来たという証明用の写真を一生懸命に撮る人達です。ぱっと見でも「冬はアンディ・ウォーホル展でホル泣き!」みたいな層の人達が多く、現代日本の展示ですらこれだけカジュアルに訪れる人達がいるのなら、人気絶頂時のアメリカではさらに多くのホル泣きビジターがいたんだろうなという思いになりました。
また、展示の最後の方はアンディ・ウォーホルが死という静謐な恐怖を表現した緊張感のある作品が続いて展示されていたのですが、それらを見て出口に出た瞬間「アンディウォーホル展グッズ好評発売中!!!」みたいになるのが商業主義って感じでかなりオモロでした。まぁ大衆向け、かつ商業的な作品が多いアンディ・ウォーホルの作風とは相性が良いんでしょうけど、私からするとかなりの皮肉に見えましたね。「これが芸術の消費か〜〜〜」ってなりましたもん。
それと最後、帰ろうとしていた時に75歳で作家をしているというお婆さんに話しかけられました。たまたま私の着ていたギブソンのGジャンにアンディ・ウォーホル的なニュアンスを見出したそうです。そんなお婆さんとは①何事においてもパイオニアは叩かれる②しかしそういった人達こそエポックメイカーになる③とはいえ生活するには売れる作品を作らないといけない、みたいなジレンマについての話をしました。
アーティストとして大成するのは魂を表現する事と同義であり、自分の自我を開放しなければならない。しかしそこに商業的なニュアンスが無ければ、生きていくこともままならない。なんとも現実的なジレンマですよね。
自分が潰れそうになるくらいの葛藤を抱くような人生、なんかすごいたいへんそうです(小並)