最近メンタルが最強な話。

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最近の私はメンタルが非常に強い。

どうメンタルが強いのかと聞かれればズバリ「自己肯定感が非常に強い」という事になるだろうか。とにかく自分や自分の将来に対する不安が極端に少ないのである。

これにはれっきとした原因があると思うので、思い当たる節や最近のメンタルの持ちようについて書き連ねていく。

経歴を誇る。

まず一つ目の原因は、人生における成功や功績が積み重なってきたことにある。

中学時代の部活では副キャプテンを務め、出場した県大会ではチーム内で最も多くの点数を獲得する。高校時代も軽音楽部の副部長を務め、zepp大阪で行われた大会に出場。高3の11月までアルバイトをしており、実家の引っ越しや祖父の逝去といった出来事が重なったにもかかわらず国公立大学を含む8つの大学受験に全て合格した。なお塾には行っていない。

入った大学ではサークルの校地責任者を務める。飲食のアルバイトを3つ掛け持ちし、そのうちの1つでは50人近いバイトの中からバイトリーダーに選ばれる。GPAは3弱とそこそこをキープしつつも、大学2年生の末でブログは月間30万PVを達成する。。。

と言うように、私はなんやかんやでカタログスペックが強いという自信がある。分かりやすいスペックと言うのは安直に自信につながるようだ。

「その程度で何が自慢なんすかw」という人も中に入るかもしれないが、私はこの経歴、エピソードの数々を非常に誇らしく思っている。

褒めてくれる人の存在。

そんな私の事を褒めてくれる人が身近に多い、というのが二つ目の理由である。

人間という生き物は他人から高い評価を受けると、それがどんな内容であれ嬉しくなるものらしい。そしてそれは非常に分かりやすく私の精神衛生を良くしてくれている。

具体的な例を出すと、居酒屋の社長や社員が私の事を非常に高く評価してくれている事だろうか。お褒めの言葉の内容としては「一緒に働いていてストレスが無い」「一つ一つの仕事が早い」「なんなら社員よりも使える」などなど。

まぁよくある内容と言えばよくある内容なのだが、私は犬みたいなものなので褒められれば褒められるほど調子に乗ってさらに良く働く。さらに働けばさらに社員さんたちは喜んで私の事を褒めてくれる。ここではそうした「良いループ」が発生しているのだ。

私の事を好きでいてくれる人たちには最大限の還元をする。そうすればその人たちは喜んでくれるし、ともすればそれが自分にとっての経歴や箔になる可能性すらある。

これは誰も損をしない理想の環境と言ってしまっても良いだろう。

目標の設定と実現。

いきなりボヤっとしたことを言うことになるのだが、私は意味のない人生を送りたくない。自分の生きた爪痕を世界に遺したい。そう思いながら日々を生きている。

だからこそ私は「人生で達成したい目標」を常に設定している。

最近投稿したこれなんかがまさにそう。期限を決めた目標を持っていれば、無気力で無意味な日々を過ごすことなんて中々できないのだ。(人生が短すぎるので)

また、そうした目標を達成するにはとにかく行動を起こすしかない。これは私が大学の先輩から学んだことである。

「あれをあーして、これをこーして、それを準備してからやればきっと行けるだろう!」みたいなのが非常に勿体ない。「きっと行けるだろう!」だけでいい。作戦を練って行動するのでは無く、作戦を練りながら行動をするのだ。

行動をすれば足跡が付く。
足跡が付けば誰かが気付く。
その足跡が歪ならばそれを修正していけばいい。

そういった意味でも「目標」と「行動」の2つは非常に重要だという事を、これまた非常に大きな声で言いたいのだ。

「出来る奴」という皮を被る。

日本には古来から「言霊」という物が存在するといわれている。口に出せばそれが実際に起こる、みたいな話である。ちなみにこれは実際に存在する。マジで存在する。

ゆえに自分は凄い!と思い、それを口に出すのは非常に良い事なのだ。

自分は凄い!と言っておけば、他の人は「そうか、凄いのか」と思ってくれる。自分は凄い!と言った以上凄くなければいけないので必死に行動を起こせる。行動を起こせばそれを誰かが見てくれるし、先ほど言ったように改善もできる。改善した行動の質が高ければ他の人に評価を貰える。その評価は自信につながる。

このように「出来る奴の皮」をかぶっておくに越したことは無いのである。

批判は(そんなに)気にしない。

批判の声と言うのはもれなくデカい。そして言葉が強い。これはいわゆる「ノイジーマイノリティ」というやつであり、それをいちいち真摯に受け止めるというのは非常にアホらしく体力を使う話である。

100人のうちの1人がバカでかい声で批判の声を上げていたとしても、残りの99人は「普通」か「それ以上」の評価をしてくれているはずなのだ。

だからこそ批判に対して真剣になりすぎるのは良くない。本当に相手にするべきは残りの99人であり、そっちに対して最大限の還元をしてあげる方が多くの人が幸せになる。「俺の事嫌いなやつは知らん!」くらいの心の持ちようの方が全てが上手く収まるのだ。

ただ批判が10人20人になってきたときは自分の身の振り方を考える必要がある。これは間違いない。

道は踏み外さないように。

そんな感じで偉そうに語ったわけだが、これらの考え方は一歩間違えれば大変なことになってしまう。

経歴は自慢に、
環境は甘えに、
目標は鎖に、
出来る奴の皮は虚栄に、
批判の無視は独断に。

あくまでも謙虚さや客観的な視点、そして自己批判は忘れてはいけない。あまり厳しくそれらをやりすぎると今度は自己肯定感の低下を招いてしまうのが難しいところなのだが。

メンタルの危険を察知する。

そんな私にも「波」は来る。

波が来た日は自己肯定感が下がり、気力がなくなり、非生産的な一日を過ごすことになる。そうした日に無理に何かをしようとするのはかえって良くない結果を招くだけになってしまうので、一日中だらだらと寝て過ごすのだ。

そんな「メンタルが弱くなったサイン」と言うのは自分なりに分かる。

一つ目が「他人に対して批判的になった時」である。他人の粗を探してわざわざに攻撃的になってしまうというのは自分に余裕が無い表れだ。

二つ目は「無意味なことに意味を見出せなくなった時」である。具体的な例を出せば「ゲームなんて所詮データだし将来役に立たないし……」とか思い出したとき。こういった時は確実にメンタルが弱っている。

趣味なんてものはおおよそが無意味である。仕事にするわけではないしお金になる訳でも無いし。そんな事分かり切っている。分かり切ったうえでゲームをして楽器を弾き歌を歌うのこそが私なのだ。

おわりに

そんな感じの最近を過ごす私である。

メンタルなんてのは一朝一夕で変わるものでは無い。「今から自分を好きになって!」と言われてできれば苦労しないし、筋トレで鬱が治れば医者は要らない。ただ、何処かのタイミングでスイッチを押せる日は来るはずなのだ。そんな日の「スイッチ」がこの中のどこかにあればよいな、と思う次第だ。

あとこれを読んでくださっているような皆さんには最大限還元するので、ぜひとも楽しい日々を過ごしてくださいませ。

それでは。

-エッセイ的な

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